「子供たちは夜と遊ぶ」を読んだ感想と疑問点について
書評といえるほどたいそれたものではなく、こういう本のレビューとかも書いたことがないので、ただ、だらだらと綴ってみます。
備忘録のようなものです。
![]() |
新品価格 |
![]() |
新品価格 |
Contents
まえおき
それくらい「子供たちは夜と遊ぶ」は、拙い文でも感想を残しておきたいと思ってしまうほど、インパクトの強い作品でした。
辻村深月さんの作品は最初に
「盲目的な恋と友情」
![]() |
新品価格 |
を読んで衝撃を受け、余韻から抜け出せず他のも読みたいと思って調べたところ、
まずは、「凍りのくじら」でしょ!!
![]() |
新品価格 |
との意見圧倒的だったので、さっそく購入。
すると帯の裏に、
こんな説明書きが。
辻村深月ワールド!?
確かに、レビューを見た時にそんなワードがちらほら上がってたけど全然気に留めてもなかった。なんか世界観自体を指し示すものなのかと。村上春樹ワールド、みたいな。
作品を越えてキャラクターが関わり合う、というかチラっとだけ出てきたりするよ~ということですね。
シリーズものだとよくあったりするけど辻村さんはかなり巧妙に登場させてるそうな。
確かに、愛着の湧いたキャラクターと舞台が本を閉じた瞬間会えなくなるの、終わってしまうのってすごく寂しい。一緒に感動したり、笑ったり、時には苛立ったり涙したり…もう読み終わる頃にはその世界の1員くらいの入り込み方をしてるので。(笑)置き去りにされたような、心にぽっかり穴があいた気持ちになる。
けど「ワールド」の存在があることによって、
まだその世界は続いてる、みんな生きてる、ということが実感できるんですね。
そういうことなら他作品もどんどん読みたい、楽しみ楽しみ。
ということでブックオフオンラインで上に挙げられてる作品を一気に大人買い!
ダンボールでどさっと届きました。
(途中で飽きちゃったらやばいな、、、)
という不安がよぎったけれど、今のところ全くその気配はない。むしろ加速度増してる(笑)
若い作家さんだから出版数もまだそこまでないし制覇も目指せるかもしれない。
表紙もかなり好み。
上下巻とも絵のタッチと色彩が可愛い。
月子ちゃんなのかな?ちゃんと藍色と浅葱色になってるあたり、いいですね。
盲目的な恋と友情を初めて手に取ったのも、表紙が可愛かったから。いわゆるジャケ買い(笑)
結局読み始めたらカバーつけちゃうんだけどね。でも読み始めるまでのテンションも結構大事だし、全体の印象を一気に左右するから侮れない。人におすすめするときとかもやっぱり表紙が可愛いといい気がする…。
ここから先がっつりネタバレあり注意!
全体的に理系ミステリ風
タイトルから小学生の話か?と思い読み始めたら大学生~社会人ななるまでのお話だった。目次の雰囲気から森博嗣を彷彿させる理系ミステリの香りが。美しい登場人物に凄惨な過去、天才の頭脳を持った猟奇的な行動。個人的に少し浅葱と真賀田四季(すべてがFになるより)を重ねてしまった。最後のシーンのなぜか警察の手を抜けふらっと現れるあたりも然り。
一番印象に残ったシーン
上巻p392、393
抵抗の力を返してこない萩野の身体。どうするんだよ。
浅葱の唇の間から呟きが漏れる。どうするんだよ、どうしたらいいんだよ。…月子。
もう一度名前を呼んだ。
どうするんだよ、もう遅い。
心にずっしりと、ダイレクトに届いた。
感情が憑依して冷や汗が出るくらいに脳に貫通した。月子への想い、ゲームへの迷い、藍の存在、取り返しのつかない現状、それでも今はどうにかこの場を整理しないといけないという状況。全ての混沌とした感情が押し寄せて頭痛がしたこの場面が1番印象的だった。一瞬自分が浅葱になった。パニック。
殺人の善悪よりも訴えてくること、最終局面の想像を超えた悲しい現実にどう折り合いをつけて生きていくのかを考えさせられる。
折り合いなんて、つかないのかもしれない。
思うようにいかなくて、どうしようもなくて、取り返しなんかつかなくて。
どこまでも歯車の合わない月子と浅葱。
それがあまりにも「現実的」で悲しい。
上下巻に渡ってキャラクターへの愛情が深くなるほど、どうにか希望を見出したくて必死になるけど、物語はそう都合よくは進まない。
徹底して残酷だ。
設定こそ突飛だけれど、この2人のような歯車の合わないもどかしさって生きてたらたくさんあるから妙に生々しくて。
紫乃と月子のリアルさ
辻村深月さんが描く女の友情はほんとにえぐい。えげつないほど的確だ。
同じ学校やバイト先で毎日一緒だった友達がいつかは別々の場所に行く。
そこで築く新たなコミュニティの中には自分の知らない友人の姿がある。私の知ってるこの子はこうじゃない、知らない顔があることを認めたくない。私に見せてる顔が本当のあなたなんだよね?
それが不安で自分が一番じゃないなんて考えたくもないから
「私はこんなに充実してるのよあなたがいない世界でも、あなたより。」
ということを必死に訴えて自分を保つ。
いるのかいないのかわからない友人の話を自慢気に披露し、敵わないな~と気を遣わせる。
こういう子、いる!!!
私は…まさしく月子側だ。
否定ばかりする友人に今の世界を侮辱されたくないから大事にしまいこむ。
「隠してるわけじゃないけど、話さない」
これ、やってたなーって。
学生時代の女友達の友情の闇って根が深い(笑)
こんなはずじゃなかった、当時は虚勢なんかはることもなく対等で楽しくやってたはずなのにってずるずる関係を続けて消耗する。
なんで断れないのかって、自分に依存してることをわかってるからだ。
「素敵な彼氏が出来ればいいんだ」
と月子も口々に言ってたけど、私も散々言ってた…お見通しすぎます。辻村深月先生。
周りに心配されて、でもこれも私だからと返すシーンがあるけどこれもまた納得。
相手によって自分が変容してもどれも自分なことには変わりないのに、それに違和感を覚えてしまうこと。他者が感じるそれは半分エゴだよね。
一緒にいる相手によってもだけど、時間と成長で人って結構考え方も身の振り方も変わる。それをどうしても許せない人がいる。自分の決めつけた都合のいいキャラクターからはみでることを許させない、そういう紫乃って現実にいるんだから怖い。友人を恋人のように縛りたがってしまう嫉妬心の強い子。
こんな消耗試合の友情は、この物語のように唐突に終わりがくる。
気になった疑問点
兄妹の叙述トリック
は薄々怪しかったものの(月子だけ名字がでてこない点と行動で)、浅葱以外は知っていたような感じ。浅葱もホームパーティをするくらい仲良くやってたはずなのになぜ知らなかった?大学も同じなのに。しかもお互いの名前の由来とかについて話したりするシーンもあったのに。なぜ浅葱だけ!!
上原藍子の存在
がいまいちピンとこない。
突然出てきたなっていう釈然のしなさとこじつけ感。
施設での性暴力
にあったときはなぜ殺さなかった?全体の流れと本人の性質としてこのときに手をくださなかったのが不思議なくらい。逆に論文コンクールのタイミングでなぜそこまで異常性が再発したんだろう。そこまで自分の論文が一番じゃなかったことがストレスだったということ?
一番じゃなかった、僕にはこの頭脳しかないのに→ゴミ箱ガシガシ(月子目撃、好き…!)→iを徹底捜査→上原藍子と接触→施設の男から連絡→上原藍子、その男殺害→浅葱と上原藍子対面、殺害→地の浅葱(その後のメール相手のi)出現→2年後にゲーム持ちかける→この2年のラグは?
最初の母と兄の殺害
は警察にバレなかったのか。体の古傷から虐待が判明したり、大きな事件として扱われそうなもの。普通の暮らしに戻れると考えずらい。
ADHDへの風評被害感
多重人格オチ
伏線がもう少しあったらすとんと受け入れられた感。「ヒント、狐」→「狐塚だけはやめてくれ!」など自作自演かい!と突っ込みたくもなる。
警察の「必ず身なりを綺麗にしてから犯行現場を去ってることから誰かと同居してる可能性が高い」で恭司にミスリードさせておいて、本人の中に2人同居してたのか…!!というのは、してやられた気もする。
そもそも筆跡で気づかなかったんだろうか
特に蛇島さんのとき。なぜ自分から慌てて犯行現場へ向かった?それは「浅葱(Θ)」じゃなかったか?
現場向かう→トイレ→iに入れ替わってメッセージを書く→Θに戻る→は!!やはりゲームが続いてしまっていた!←それが自分の字なら何か思わないんだろうか
と考えると「浅葱Θ」の時に浅葱iの人格が完全に切り離されてるのか怪しく思ってしまった。浅葱iの行動時間は赤川くんと遊んでた頃なども含めて結構長いしその空白の時間に対する疑問は特になかった?
一気に色々うやむやに…。
浅葱iと浅葱Θの境界が曖昧
月子を殺してしまうシーン、それはまさしく兄の藍を殺してしまったときと同じ心境と衝動だった気がする。愛ゆえの絶望、盲目さ。凶器を頭から振り下ろす短絡さ。それってもとの浅葱(分裂前)に近い。わ、わからない…!
本物の浅葱がiでΘの方が偽物だよ、という大ラスのオチは、ショックを受けるところなんだろうけど気持ちがついていかずかなり置いてけぼり。
慌てすぎて台詞だけかいつまんで高速で読み耽ってしまいましたこの辺(笑)
そんなところも含めて1番
今まで読んだ辻村深月さんの作品で一番好きです。
伏線回収と読後感の気持ちよさはスロウハイツの神様の方が圧倒的でした。
そういう気持ちよさが全てではないのかもしれないと。
月子の着信音として物語の象徴的なイメージの「Fly me to the moon」を聞くと、どうしてもエヴァンゲリオンを思い出してしまうのですが(笑)エヴァほどすっきりしない終わりではないものの、たくさんの疑問点や心残りを植え付けて感情を揺さぶる作品ってそのものの存在自体が凄いんじゃないかと思うんです。
フィクションが与える影響力というか、フィクションの意義というか。曖昧な部分が残ることによってああでもないこうでもないって解釈を考えたり、興味を持ってしまう。好奇心を揺さぶられる。考えれば考えるほど、時間を費やせば費やすほど、好きなんだなって気づく。まるっと含めてそれだけ魅力的な作品ってことですよね。
著者が教育学部出身っていうのを他の方のレビューで拝見したのですが、今まで読んだ作品も多くのものが「児童のいじめ」の残酷すぎる現実が描かれていました。
この作品はかなり過激な描写が多かったですが、少なからずそういう問題が実際に起きているということを考えること、想像することも大事なのかなと。一貫してメッセージ性を感じますし、いじめに関する著書も出しているようですね。
自分の取り巻く世界に関係のないことって現実であって現実味のない事柄になってしまうことのほうが多くて。使い古されたフレーズだけどそれこそ今だって世界のどこかには飢餓で苦しんでいる子供がいて、戦争に怯えて生きている人達がいる。そんな中恵まれた国に生まれて、健康で、仕事の不満をだらだら言っている自分がいる。ニュースを見てそのときこそ悲しい気持ちになっても実際直接的に何か行動を起こすわけでもなく、すぐにまた自分の生活に戻る。
それで本気で落ち込んでしまうのが、月子だったり(テディベアを抱いて引きこもる
)凍りのくじらの里帆子と別所先輩。
あれ、スロウハイツの神様の赤羽環もそうだったような。
「自分に関係のないことでくよくよ悩むことないのに」というようなセリフがあったような気がしますが(どの本のどのシーンだったか…)
もう少し想像力を働かせて視野を広く物事を考えられるようになりたいな…とは思いました。
月並みに。月子だけに。失礼しました。
ではでは、次は順番通りぼくのメジャースプーン読みますよっ!
わくわく。
![]() |
新品価格 |
もしここまで一読してくださった方がいましたら、本当にありがとうございました!
serori
Leave a Reply